なぜ、今「メイド刑事」なのか?

2006.05.20改訂

 巷では「萌え〜」なる言葉が氾濫し、流行語大賞では秋葉原のコスプレメイドたちが「萌え〜」と言っているのを見ると、私は殺意に近い感情を抱かざるを得ません。千歩譲っても、「萌え」られるのが君たちで、自分で「萌え〜」と言うもんじゃないだろ。
 ……とつっこんでおいて。
 では、そんなメイド「萌え」の時代に、なぜ「メイド刑事」なんて小説を書くのか?
 時代に迎合し、便乗した、ただの金儲けに決まってるだろう(けっ)?

 

断じて違います。

 「メイド刑事」という企画を考えて、「書くならあげるよ」と言ったのは、さるクリエイターの方です。2004年の初冬のことですが、そのときまだ、私は現在のメイドブームについて、ほとんど何も知りませんでした。そのクリエイターの方からも、まんが「エマ」を紹介されただけです。森薫「エマ」は、もちろんご存じですよね? 十九世紀末ヴィクトリア朝を舞台に、丹念に時代考証された、傑作です。
 「メイド刑事」は「今のメイドブームに乗っただけだろう」、という人がけっこういらっしゃるのですが、「今のメイドブーム」? はあ? というのが私の答です。
 1990年代から、主にフィギュアのマニアの間で、巫女さんやナースと同じように、メイドは大変人気がありましたし、ジオラマを使って、メイドのフィギュアをコマにして、リアルRPGで遊ぶゲーム(名前は何と言ったか忘れましたが)もありました。そして、それが一気に加速したのが「エマ」の登場ですが、「エマ」の第一巻は2002年に出ています。
 ついでに言うと、メイド喫茶は1998年、ゲームソフト「Piaキャロットへようこそ!!」のプロモーションのために、東京キャラクターショー1998に、このゲームソフトの制作会社・ブロッコリーが出店したのが初めてだそうで、翌年の1999年、同じくブロッコリーが、秋葉原で期間限定で開店したのが、秋葉原への進出の第一歩です。事実上、初の定期開業したメイドカフェは、2001年の「キュアメイドカフェ」だそうで、……要するに、メイド喫茶、そしてメイド「萌え」の歴史は、一部の人が思っているより、ずっと古いんですね。
 (この部分は、「秋葉原におけるメイド喫茶・コスプレ喫茶の歴史」を参考にしました。ご興味のある方は、よくお読み下さい)
 では、「今どきのメイドブーム」は、なぜ起こったのか。事情に詳しい方のお話では、これは、マスコミが作ったものなのです。即ち、「Web現代」が出した「萌え萌えジャパン」という書籍で、「萌え」を語るつかみとして、敢えて「萌え」の本質ではないメイドカフェを冒頭に持ってきたのが、ジャーナリズムの教科書的な存在となって引き写され、「萌え=メイドカフェ」という図式になった、ということです。
 ですから、メイド「萌え」の人は、ずっと前からいましたし、私はその人たちの薫陶を受けて(笑)、「メイド刑事」を書いたわけですから、はっきり言って、「今のメイドブーム」なんか、しらねーよ、というわけなんです。

 閑話休題。この「エマ」を提示した上で、その方は、「早見さんなら『メイド刑事』には乗ると思った」と言われました。
 私はe-NOVELSから「少女ヒーロー読本」という少女戦闘映像に関するエッセイを出している、根っからの少女ヒーロー好きです。子どもの頃から和田慎二先生の「スケバン刑事」で育ち、大きくなってからはその映像化、特に脚本家・橋本以蔵先生の書かれた回や、大映テレビドラマなども、むさぼるように見て、つみきみほのアクション映画「花のあすか組!」で、興奮は頂点に達しました。
 もちろん今も、BSが受信できませんが、CSなどで「ケータイ刑事」シリーズ、さらに少女とは言えませんが戦闘映像の王道「ごくせん」も大好きです。
 要するに、私は硬派な少女が好きなんです。
 そんな私に「メイド刑事」というヒントが与えられたからには、断じて時代に媚びるへにゃへにゃな、アニメみたいな声で「御主人様は私が守るの〜」(「TVチャンピオン」より)なんて、コスプレメイドを書くわけがありません。
 少女は、絶対に、硬派でなくてはならないのです。
 では、なぜメイドにするのか?
 もちろん、それにも意味を見出しています。
 「メイド刑事」は、和田慎二先生と橋本以蔵先生に捧げる、かつてその方々に育てていただいた私なりのオマージュです。
 金、金、金の世の中を、ご立派な顔をして食い荒らす悪党どもの懐深く潜入するには、メイドという立場はとても有利です。家政婦でもいいのですが、「家政婦刑事」ではギャグになってしまうし、どうしても市原悦子の顔が浮かんできてしまいます。
 メイド、それも「エマ」に倣った一流のメイドでなければ、かっこよくはなりません。
 そしてもう一つ。
 少女ヒーローとは、上からものを見下ろして悪を断罪する、水戸黄門のような存在ではなく、下からの視線で事件を見据えられなければ、悪の陰で泣く人の心は分からないのではないでしょうか?
 私はほとんどの小説で、弱者、はみ出し者、世間からは見くだされている人間の目で、ものを見てきたつもりです(「学園サンクチュアリ」は、その意味では失敗だったとも言えますが、主人公を双葉圭介と考えれば、これも当てはまります)。
 メイドブームと言いますが、実際のメイドは、要するにお手伝いさん、一介の奉公人に過ぎません。メイドの実態までは調べられませんでしたが、決して、人の上に立つ職業ではありませんね。
 そのメイドだからこそ、そして少女だからこそ、金にも権力にも、そして硬派ゆえに愛だの恋だのという、やわな感情にも縛られずに、悪と真っ向から立ち向かえるのではないでしょうか。
 そして、その陰で踏みにじられ、泣きを見る弱者と同じ高さの、あるいはそのもっと下からの目で、弱い者を救おうとするのではないでしょうか。
 メイド刑事・若槻葵は、警察庁長官・海堂俊昭に仕え、特命刑事として事件と立ち向かいます。しかし毎回の事件で、彼女は御主人様の命令だからではなく、自分自身に、その事件を解決したい、という熱い思いが生まれて、初めて捜査を引き受けるのです。
 そう。メイド刑事とは、「萌える」ものではなく、「燃える」少女なのです。

 暑苦しい文章になりました。もちろん、そんなことは気にせずに、はいむらきよたかさんのイラストを手がかりに、お好きなように「萌え」ていただいても、私は一切かまいません。
 いわゆる「二次創作」(これも言葉としては好きではありませんが)で、妄想・幻想をふくらましていただいても、エロ同人誌になってもかまわないと、個人的には思っております。
 しかし、小説「メイド刑事」は、むしろ、こんな時代だからこそ、あえて硬派の少女戦闘小説として、世に問いたいと思います。
 玉砕しても、時流に乗れなくても、私には関係ありません。これからも、おそらくは一生、私は私の少女像を書き続けていきます。

 ちなみにお断わりしておくと、私はあまりディープではありませんが、長年にわたっての立派なおたくでもあります。
(諸般の事情から、どういうおたくかについては詳しく書きませんが、おたくが高じて今の職業に就いたと言っても過言ではありません)
 だからこそ、おたく「文化」とやらに踊らされず、これが新しいスタンダードになるべく、書きたいと思うのであります。
 長文にて失礼いたしました。

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