こんな奴でもなんとか作家になりました

これまでの仕事 その1〔'82〜'90〕

書いた日 99/03/31 加筆 2001/03/17

 ●小説でデビューするまで  ものを書く仕事を始めたのは、'82年、学生のときです。
  当時、『SFイズム』という雑誌があって、ひょんなことから、映像に関する文章などを書くことになりました。そのうち、企画物の冗談コラムみたいなのを書かせてもらいました。「あかるいSFなかま」と言って、よくある会話調のQ&Aのパスティーシュです。
  これを編集長の細川英一氏が気に入ったらしく、連載になりました。ですから私、もともとは、コミカルな芸風なんです。今でもこれを覚えている方がずいぶんいらっしゃって、この前も、谷甲州さんにお会いしたら、「『SFイズム』で書いてましたか」と言われました。85年に休刊しましたが、私には愛着のある雑誌でした。細川さん元気かなあ。
(その後、SF大会でお会いしました。現在はデザイン関係のお仕事をしていらっしゃいます。)
  ただ、原稿料が1枚500円でした。それでもうれしかったんですが、もちろん、食えない。大学を卒業してからは、書店で、時給600円ぐらいでレジを打ちながら、書いてました。
  私は、就職に失敗しているんです。公務員試験も軒並み落ちたし、就職活動が……できなかった。極端な人見知りなのと、閉所恐怖症なんで満員電車に乗れない。だから私は今でも、文章で食えなくなったらどうしよう、と思うと死にそうになります。後で、いちおう勤めたりしたんですが、とにかくこれしか、できることがないんです。だから、必死で書いてます。後がないんで。
  それはそうと、そのころ、仕事以外でお世話になっていた、『アニメージュ』の高橋望さん(今はスタジオジブリ)から、バイトをしてみるか、と言われて、『アニメージュ』に出入りするようになりました。
  ところが私、出不精で生意気で世間知らずで、要領と物覚えが悪い(それじゃ最悪だよ)。編集の手伝いが、まるで務まりません。コピー一つ、満足に取れない。皆さん、あきれたでしょうが、それでも、インタビューや対談のテープ起こしをやらせてもらえました。これは、6,70本もやったでしょうか。幸い、かなり好評でした。
 あと、『ロマンアルバム』なんかの、アニメのストーリー紹介もやりました。最初は『レイズナー』でしたね。何しろパシリだし、署名原稿はなかなか書かせてもらえなかったのですが、けっこうがんばりました。こういう仕事で、文章を書く体力がついた気がします。最近でも、ちょこちょこやってるんですよ。

 ●小説家になろう、と  そんな具合いで、収入は低かったのですが(税込み年収100万ちょっと)、まあまあ楽しくやっておりました。モラトリアムですな。
  ただ、25過ぎますと、いつまでもテープ起こしをやっているわけにもいかない、という雰囲気に、周りもなってきますし、自分も、そろそろやばいのに気がつきました。
  『アニメージュ』でバイトをしていた人は、多くはフリーのエディターになりましたが、上のような理由で、向いてない。脚本家やプロデューサーになった人もいましたけれど、これも社交的でないと、だめらしい。
  で、昔から、漠然と小説家になりたかったんで、「小説が書きたいんです〜」とぼそぼそ言っていたら、編集部のFさんが、「じゃ、書いたら見てあげよう」と言ってくれました。
 ところが、よく考えてみたら、小説、書いたことなかったんです。それで小説家になりたいと言ってたんだから、今の若い人を笑えませんね。
  それで、一年半ぐらいかな……かけて、ようやく書き上げました。そのあと、直しに一年以上、かかってますが、とにかくそれが、世に出ました。


 1988 夏街道〔サマーロード〕 徳間アニメージュ文庫

画像は削除しました  これが、その第一作です。イラストは、川原由美子さん。『SFイズム』の頃にお会いして、「いつか作家になったら描いて下さいね」とお願いしていたのが、ようやく叶った、という。言ったときには、なれるなんて、思わなかったんですけれど。
  引き受けて下さるかどうかも、かなり心配でしたが(自分で頼んだ)、原稿を読んだ川原さんが、「これはいい」、と言って、のって書いて下さいました。多少でも売れたのは、川原さんのおかげです。このクオリティの絵ですもん。
  このお話は、『センチメンタル・サイキック・ホラー』という、恥ずかしいあおりがついています。誰がつけたか、というと、……私。いや、話が地味だから、なんかあおろうと思ったんです。
  十二年の時を隔てて、一枚の楽譜が甦り、夏の高校に恐ろしい物語が始まる――という、まさにセンチメンタルな、学園ホラーです。不思議な『力』を持つ少女、水淵季里の話……なんですが、この表紙に描かれているのは彼女ではない。物語そのものの主人公、加野湘子です。
  自分で言うのは何ですが、怖いような、悲しいような、夏の物語です。そういや、「テーマは夏です」といって、Fさんに笑われました。若いから、恥ずかしいこと、平気で言いますな。
  当時はもちろん、ほめてもらえず、不評はびしっと伝わってきたので(小説じゃない、とかそういうの)、その後ずっと、卑屈になっていたんですが、最近になって、読んで面白がってくれた人がずいぶんいたことが分かって、やっと報われた気になりました。



※画像の削除について
 このページの、川原由美子さんのイラストですが、お話し合いの上、削除しました。
 転載禁止、ということになってはいますが、無断転載がないとも言えません。で、川原さんは、いろいろないきさつ(お名前を勝手に使われるとか)がありまして、「自分で責任のとれないものには、関わりたくない」、というお話でした。
 私も、ネット上の自分の書き込みが無断で部分転載されたり、日記を勝手な解釈で要約して紹介されたり、ということがありますし、川原さんのお気持ちは分かります。
 そこで、読む方には申しわけありませんが、削除させていただきました。ご了承下さい。

 ●天狗になる さあ、デビュー作が出た。印税が入った。眼の色が変わりましたね。100万ぐらい、あったんですもの。今はジュニア文庫、完全な不況業種ですけれど、当時は若年人口が多いこともあって、バブルだったんです。今の新人の倍ぐらい、初版部数がありました。
(その後きいたら、2000年現在では、3倍ぐらいと言えるようです。)
  こりゃいいや、と思いました。年収に匹敵するお金が入る。はい。少なくともそのときは、金につられて小説家になりました。生活を含めた人生がかかってなかったら、実力以上の仕事をしようと思うもんですか。そもそも小説を書くこと自体が、私には実力以上ですもん。明日の家賃がかかってるから、がんばるんです。
  それはさておき、そんな具合いで調子こいて、次へ取りかかったときに、「ノヴェライズをやらないか」、という話が来ました。アニメージュ文庫ですから、当然、ノヴェライズが中心なんですよね。よく考えたら、どこの誰とも分からない新人のオリジナル長篇を出したのも、そっちが着実に売れいてる余力だったのでしょう。
  ただ、私はもちろん……と言っていいのか、ノヴェライズをやる気はなかったのですね。まあ最初から目指す人がいたら、どうかしてますが。ノヴェライズが小説ではない、とも思わなかったのですが、それより自分の話が早く書きたかった。
  でも、当時の私は、文章でお金になれば何でもやろうと思っていましたので(今も基本的にはそう)、とりあえず引き受けました。――そこから、人生が少々、変わります。


 1989 小説 強殖装甲ガイバー 鬼影の記憶 徳間アニメージュ文庫

鬼影の記憶  高屋良樹さんのマンガを読んでなくて、単なるヒーロー物で気色の悪いやつ、ぐらいに思ってたんです。アクションもモンスターも苦手だし、どうしようか……と、とにかく原作を買って読んだら、感動しました。
  最初っから強くてヒーローで――というのは、性に合いません。そういうのが、アニメとかマンガで氾濫してましたし。でも『ガイバー』の深町晶は、あまりにも、というほど普通の高校生で、それがガイバーになってしまった故の悩みや痛みが、丹念に描かれている。これなら書けるんじゃないか、と思いました。
  オリジナルストーリーで、という話でしたので、長沼紀子というオリジナルのキャラクターを立てて、原作にぶつからないように、何とかまとめた次第です。ヒーロー物としては、異色、なのかな。
  幸い、これは売れました。重版がかかりましたし。



 ●高屋良樹さん  で、高屋さんの所へ打ち合わせに行ったんですが、人見知りが激しいんで、びくびくしてました。『少年キャプテン』の巻頭作家ですし、きっと怖い人だろう、と。実際、高屋さん、体格がいいし、床屋が面倒で角刈りにしてますから、何か言ったら殴られるんじゃないか、と思った。
  ところが……高屋さんは、会う前に『夏街道』を読んでいて、こいつなら大丈夫だ、と思ったそうなんです。その後、いくつもノヴェライズをやりましたが、小説家の書いたものを前もって読んだ原作者は、高屋さんだけです。
  それどころじゃないのは、アニメに関わって分かりました。アニメの監督は、ノヴェライズが始まる頃にはもう追い込みで死にかけてますから、かまっていられない。しょうがないんです。
  ただ、高屋さんは、自分の名前が冠される物には、無限大に責任を負う人なんです。批評したがりの「ファン」とか、世間のため、お金のためではなく、ほんとに『ガイバー』を好きでいてくれる、読者のために。
  こちらは駆け出しですし、『ガイバー』について、いろんなことを質問したんですが、どんな突飛な、思いも寄らないようなことをきいても、必ず、納得のいく答を出します。しかも、小説のためになるように、考えてくれます。
  そういう人だと分かったんで、こっちもやる気を出した。原作の説明ではない、自分のオリジナルと同じ品質で、しかも、原作と相反しない仕事にしようと思った。それで、高屋さんも、こいつはいいかげんな奴ではない、と思ったようです。根はいいかげんなんですけど……手の抜き方が、分からないだけで。
  この小説は、売れたのも売れましたが、高屋さんが、「こういうのがやりたかった」と言って下さったのが、いちばんうれしかったのです。人と仕事をするのも、悪くないと思った。それで、その後、十年にわたるおつきあいが始まりました。
  で、そこでまた経験を積んで、いよいよオリジナルへとかかったわけですが。

 1990 都立特捜隊T3 エニックス文庫

  『夏街道』の最中から、続編のことは考えて、書き始めてもいたんですが、その前に、ひとのご紹介で、新しくできたエニックス文庫に書かせてもらえることになりました。いつも、一つ終わるとまったく別なことがしたくなるので、コミカルな話を考えて行って、通ったんですが……。
  これはこれで、好きだと言って下さる方がいらっしゃいますから、あまり多くは語らないほうがいいでしょう。とにかく、いろいろガタガタしたので、ちょっと……。
  エニックスは、『ドラクエ』か『シュラト』のノヴェライズが当たったのでオリジナルに手を出したようですが、あまり売れないので、あっさり撤退してしまいました。シリーズ化を考えて企画を立てたのですが、一冊で終わるとは思いませんでした。まあ、今だったらもうちょっとうまい書き方があるかな、とも思うような作品でしたが、事情もあって、私のせいだけじゃないぞ、とは思います。
    どうも、コミカルな作品を書くと、よけいな苦労が多いのは、なぜなんでしょう。
(その後、エニックスは体勢も替わり、また『十二宮12幻想』をきっかけに、おつきあいするようになりました。)


 1990 水路の夢〔ウォーターウェイ〕 徳間アニメージュ文庫

画像は削除しました  水淵季里が、今回は、ちゃんと主人公になります。ある日、彼女の耳にだけ、水の音が聴こえてきて、それを追っていくと、何やら不思議なことが起きてしまう。そのうち、東京の地下をめぐる「冒険」が始まる――というものです。
 これを、『ドラゴンマガジン』が取り上げてくれて、「アーバン・ファンタジー」と称した。ああ、いい言葉だなあ、と思って、それからずっと使っています。
 この小説は、オールロケです。すべて、現実の東京にある場所を歩いて、その通りに書いています。そういうファンタジイをやりたかったんですね。もともとは、そのとき住んでいたのが玉川上水のごく近くで、よく歩いていたことから始まりました。
 幻想のシーンも、資料に基づいて書かれています。小河内ダムの図面まで見て、きっちり書いてあります。――そういう仕事は、なかなか制約があってその後できずにいますが、おかげで自分では非常に好きな作品です。
 いろんな人が、好きと言ってくれたのですが、それは後からで、出た当時は、ジュニア文庫の流れに埋もれていたので、どう考えていいか、分かりませんでした。
 実際売れなかったんで、シリーズも完結する前に終わり、とほうに暮れて、仕事を探し始めます。そこから先は、ページを変えて……。



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 (C)高屋良樹・水木圭