細かい仕事の頃

これまでの仕事 その5〔'96〜'98〕

書いた日 03/06/24

●「吸血姫美夕」の日々

 「美夕」の話は、未だにホットな問題が多くて(結局、印税が払われなかったのも、問題の一つです)、触れられないことが多すぎるんですよね。
 まあ、ざっといきさつを書くと、最初は、TVシリーズをやるので、ノヴェライズを書かないか、という打診が来ました。96年の3月だったと思います。
 それきりしばらく音沙汰がなかったんですが、9月になって、今度は、第1話の脚本を書いてみないか、という話が来ました。なんでも、シリーズ構成の人が降りてしまって、「美夕」について知っている奴ということで、私に来たんです。
 私は、今も出ているのかな? 「美夕」OVA版の「フィルムコレクション」というムックでストーリー紹介を書いていて、内容はよく知っていました。あと、平野監督には、「イクセリオン」が上手く書けなかったという借りがありましたので、借りが返せるかも、という不遜な考えもありました。
 何より、あの「美夕」を自分が書けるというのは、たいへんな魅力でした。私は女の子、それも癖のある女の子を書くのは、一生の仕事ですし。
 それでも、かなり悩みました。何しろ昔から、リメイクをやってほめられた人はいません。どうやろうと、必ず悪評が来るものです。それに、予算やスケジュール、OVAのときのような豪華なスタッフは望むべくもなかったので、苦戦は決まっていました。
 実際、オンエア当時はさまざまな悪評を聴いて(すべてが脚本のせいではありませんでしたが)、精神がぼろぼろになりました。私は神経を長年患っていて、6年たってもまだ治りませんが、その発端は、ここにあります。健康を返せ、と叫びたいような気持ちですね。
 体のほうも、激務でぼろぼろでした。オンエアが迫っているのに、脚本家が集まりません。今だから書いてしまうと、〆切ぎりぎりで降りてしまった人もいて、そういうものの穴埋めも、いつの間にかシリーズ構成になっていた私の仕事でした。ひどいときには3日で2本、上げたこともありました。
 脚本が本業の方だと、力の配分を知っていらっしゃるのでしょうが、こちらはとにかく、全力投球するしか能がないので、ろくに睡眠も取れず、書き上げると、プリントアウトを近所のコンビニに出しに行く、その余力さえなくて、かみさんに出しに行ってもらったことがあります。腰がへたって、立てなくなっていたんですね。
 ただ、平野監督との打ち合わせは、たいへん楽しいものでした。
 最初にお会いしたときは、とりあえず第1話を書く、ということだったんですが(いつの間にかシリーズ構成に……)、私が「要するに、『ウルトラマン』の1話をやればいいんですね? 実相寺の『セブン』じゃなく」と言ったら、「そうなんだよ」となって、それから先は、スムーズに運びました。
 平野監督はこの作品に、実写のテイストを持ち込みたがっていました。私の嫌いな監督で、アニメを実写みたいに撮ろうとして、いつも失敗している人がいますが、そういうのとは違う、趣味として、また感覚としての実写テイストですね。
 で、今の若いアニメのスタッフの方々は、鈴木清順とか石井輝男とか言われても、ぴんと来ないらしいんです。こちらは何しろ「映画秘宝」のライターですから、「この回は『田園に死す』と『陽炎座』で行きたいんだ」(「美夕昔語り」の回ですね)「分かりました」、ってなもんです。もっとも「田園に死す」は見ていなくて、ビデオを買って見ましたが、とにかく、何を言われても「分かりました」で通そうと決めていました。
 こちらから提唱した、「日本にはあまりない、ストレートなホラーを作りましょう」というのも、監督は納得されたようで、例えば「あなたの家」や「人魚の夢」は、初稿で通っています。「人魚の夢」は、わりと好評な回ですが、あれはほとんど脚本通りなんですね。
 「人魚の夢」といえば、前半のほうで、私が予算を度外視して(というか計算できず)、キャストを出し過ぎたり、背景デザインの多い脚本を書いたもので、さすがに監督から注意を受けて、「人魚の夢」では、バスの窓が夕焼けで飛んでいて外が見えないとか、人数も絞って書きました。絵コンテ、演出、たしかにうまい人が当たったのですが、脚本の段階で計算があったということです。
 ラストの6話で、話は収束するのですが、これを「エヴァ」の影響を受けた、と見る人がいます。愚かなことです。私はむしろ、「少女革命ウテナ」とかぶらないよう気を配っていましたし、ラストがこのようになることは、最初から決まっていました。現場で「エヴァ」の話が出たことはありませんでした。
 最終話は、とっちらかっているように見えるかもしれませんが、これは「楽園の疵」で行きたいという監督の要望で、この回だけきっちりと構成を立てて書いたものです。ディテイルの一つ一つまで意味を持たせて、私には珍しく、ニュアンスまで書き込みました。ふだんは、「私は──」にしておいて、役者さんに考えてもらう、という書き方だったんですが。
 ですから、あの最終話は、「エヴァ」とは違って(って、「エヴァ」の最終話がどういう構成で書かれたかは知らないし、興味もないんですが)、分からない人は、単純に読めないということです。
 まあ、手前味噌になるのでこのぐらいにして──。

 もう一つ、楽しかったのは、アフレコ現場でした。私は出不精ですし、脚本で必死だったので、アフレコに立ち合ったのは「うつぼ舟」ぐらいからだったんですが、「一切口を出さない」という約束でしたので、ただ見て、帰りに役者さんたちとご飯を食べて帰るだけでした。
 それでも、現場がうまくいっていることは分かりました。レギュラーの中ではベテランのかないみかさんを中心にして、よくまとまっていました。千里と久絵は、当時、出資者だったアミューズメントメディア総合学院の学生さんたちでしたが(どちらも、今は立派な声優さんです)、スタジオの決まり事などの教えも、よく行き届いていました。
 他の現場では、場が荒れることもあるようなんですが、「美夕」は終始和やかに、しかし緊張感をもって進んでいました。
 長沢美樹さんは、これが初の主演だったでしょうか。ゲストには超ベテランも多い中で、善戦していらっしゃいました。何しろ、麻生美代子さんや野沢那智さんを向こうに回して芝居をしなければいけないのですから、プレッシャーはたいへんだったと思いますが、いつもにこやかに、アフレコのときは引き締まって、やっていらっしゃいました。あれはCDを録るときでしたが、冷羽の父と母で、大塚明夫さんと水谷優子さんが来られたときに、長沢さんは、自分の出番が終わっても、じっとおふたりの芝居を見て、スタジオを片づけて帰られました。ああ、この人はまじめなんだなあ、と思ったものです。
 三木眞一郎さんは、出番が少ないのですが、バスの運転手やガソリンスタンドの店長などをこなされ(そういうのが、けっこうあります)、冗談で「ラヴァはバイトをして美夕を食わせている」と言っていらっしゃいました。ただ、この方もまじめで、「海の光」のガーリンネとのやおい的関係についても、驚くほどシリアスに解釈していらっしゃいました。
 かないみかさんは陽気な方で、現場のムードメーカーになっていらっしゃいました。それと同時に、若い声優さんに気を配っていらっしゃいました。「美夕」の現場がうまくいったのは、かないさんの力も大きいと思います。
 かないさんの下で(というと失礼に当たるかもしれませんが)、若い声優さんをまとめていたのは、由香利役の手塚ちはるさんです。ひじょうにきれいな方だったのですが、男っぽい役ばかりなので、CDドラマで、由香利の女の子らしい芝居を作ったら、お礼を言われました。実際に書いたのは、山田靖智さんですが。
 緒方恵美さんは、芸の虫といったところです。緒方さんがいたから、冷羽と松風という役ができたそうです。
 これはまあ、書いてもいいと思いますが、冷羽と松風は、デザインを見た瞬間にセリフ回しが私の頭の中にできたのですが、例えば語尾に「ござる」をつける、といった約束事で話すのではない、生きたセリフなので、他の脚本家の方がなかなか書けません。こちらも説明のしようがありません。それで、冷羽と松風のセリフは、村井さだゆきさんの回を除いて、私の手が入っています。村井さんはさすがで、難しいセリフ回しをものにされましたが。
 それを更に緒方さんが解釈して、自分のものにしていく。その熱心さと実力に感心して、全編をほとんど冷羽のひとり語りにしたのが、CDの「ドラマ・スペシャルII」に収めた「冷羽 風の中で」です。緒方さんならできる、と私も思ったわけです。
 「対決のとき」ぐらいになると、冷羽の人格は三つ出てくるのですが、第三の人格は、緒方さんが演技で作られたものです。
 新人のおふたりは、壁にぴったりと立っていた姿が忘れられません。声優人生の始めを、いい現場で始められたことは、いい経験になったと思います。明るい方々でした。
 ゲストの声優さんにも、それぞれ感心させられたのですが、中でも感心したのは、「人魚の夢」の麻生美代子さんです。これほどのベテランの方に、「うまい」なんて言ってはかえって失礼でしょうが、私が舞台劇を意識して書いた(背景を動かさないことで予算を削減する意味もありましたが)長ゼリフを、見事に舞台の雰囲気で演じられました。読まれた、と思ったものです。

 「美夕」については、書くときりがないのですが、いろいろデリケートな部分もあるので、適当なところで筆を措きたいと思います。
 とにかく、あの頃は、毎日が修羅場でした。楽しくもあったのですが、次第に、自分ひとりの力ではどうしようもない(当たり前なんですが)という思いが募り、やはり小説家は小説で、自分の作品を作りたい、と思うようになりました。
 そんなとき、この「美夕」と交差する形で、短編のお仕事が来るようになり、私の新しい経歴が生まれました。

 最後に一つ、付け加えておきたいのは、これから「美夕」を見る方は、できればDVD(LDもあります)の「インテグラル・バージョン」で見て欲しいということです。当時、残虐な事件が続き、そのためテレビ局の規制が非常に厳しく、表現をごまかさなければならない所が多くできました。また、背景を海外に発注したことや、作画が間に合わなかったことから、不完全な状態でオンエアせざるを得なかったというのもあります。
 DVDでは、すべてというわけには行きませんでしたが、かなりの手が加えられたり、本来の姿に戻してあります。また、局の事情で放映できなかった2話も入っています。そういうことで、ぜひ、そちらのヴァージョンで見て欲しいと思います。



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